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久留米市を邪馬台国と考える理由

福岡県南部と佐賀県南部を含む筑紫平野は九州一の面積を誇る。さらに筑紫平野には、筑後川が流れていて稲作には最適であったと思われる。3つの平野の面積を比較すると、

筑紫平野面積 約1200km2
福岡平野面積 約 240km2
奈良盆地面積 約 300km2

となっている。筑紫平野の面積は、福岡平野のそれの5倍ある。一方、魏志倭人伝に邪馬台国と福岡平野の住戸数が記してある。それによると、
① 邪馬台国:南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。
② 那国:東南至奴國百里。官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。
ということで、邪馬台国の戸数は、福岡平野の3.5倍である。土地の面積は稲作の収穫高に比例し、それは人口に比例すると思われるので、人口比から考えると、筑紫平野を邪馬台国と考えるのは自然であろう。筑紫平野は二県にまたがるので、かなり広い。卑弥呼の住む場所はどこであったかと考えると、当時もっとも栄えた場所は、今も人口が多い場所である可能性が高い。各市の現在の人口を比較する

久留米市:30.4万人
佐賀市:23.6万人
柳川市:7.2万人
八女市:6.4万人

等である。これらの町の発展は農業によるものだけではないが、それらの要素を除けば卑弥呼の時代に稲作に従事していた人の数と比例するのではないか。そう考えると久留米市が卑弥呼の都のあった場所である可能性が高い。
 
奈良盆地が卑弥呼の都である可能性は、奈良盆地が7万戸の人々を養えたかにかかっているが、同程度の広さのあった福岡平野が2万戸程度であったことを考えると、7万戸は無理であったと思われる。よって、奈良盆地に卑弥呼の都があった可能性はない。

祇園山古墳

魏志倭人伝には、卑弥呼の墓に関して次のようにあります。

卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人

殉葬者の墓があるはずです。久留米市にある、あの箸墓と同じ古墳時代前期に作られた祇園山古墳には、殉葬者の墓があることが知られています。古墳の説明はクリックして大きくしてご覧ください。

gionyamakofun.jpg

ヤマト

伊都国 那国(福岡市)は上の方である。そういう場所と比較して下の方の筑後平野は圧倒的に広い。稲作をするのに必要な川は筑後川がある。農業の土地から考えると筑後地方が優勢である。そこには現在の久留米市、柳川氏、みやま市や八女市等がある。このあたりがヤマトであったのかもしれない。数万人が住めるコメがヤマトでは取れないといけない。

yamato.jpg

そばボーロは京都弁でなくてポルトガル語

京都には、「そばボーロ」と言うお菓子があります。ボーロは京都弁でなくて、ポルトガル語です。他に、「丸ボーロという」丸いお菓子があります。赤ちゃんのお菓子の「たまごボーロ」というのもあります。日本に広く、ボーロが広まっています。

ポルトガル語のボーロを聞いてみましょう。英語ではcakeの意味です。

ほぼ日本語のボーロで良いですね。

カステラとは

ポルトガルから来たお菓子で有名なものは、カステラがある。以前ポルトガルに行ったときに、ポルトガル人に日本語では「カステラ」と言うと言ったところ、ポルトガルの城の意味だと思うとのことであった。では、ポルトガル語で城を聞いてみます。

カステラと聞こえますか?

発音的にはカステラで良いですね。形はどうでしょうか。リスボンの城です。

サン ジョルジェ城

カステラを横から見たところに似てないといえば似てないし、似ていると言えば似ています。 

地図も持っていなかったので、アパートの間を歩いて行って城まで辿り着いたことを、今思い出しました。
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