日々感じたことを書いています。

ブラジルの侍の死

グレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーが95歳で亡くなった。柔術というものは古くは日本にあったものだが、ぼくを含め多くの日本人は、柔術は柔道に統一されてしまったものと思い込まんでいたと思う。だが、ある日エリオ・グレイシーの子供や孫たちが、グレーシー柔術という形でブラジルから日本へ逆輸入した。ぼくも、テレビの異種格闘技の試合を通じて、柔術が関節技に優れた武術であることを初めて知った。グレーシー柔術の選手の試合の前には、エリオ・グレイシーを長として彼らのグループが一連となりグレーシー・トレインで入場していた。闘う一族の連帯や覚悟を見る思いがした。実際、彼らは驚くほど強かった。その強さは、ブラジル柔術家のテクニックにもあるのだろうが、絶対に諦めない精神的強さの部分が大きいと感じた。強さの秘訣は、武術がスポーツではないからだろうと思う。元々武術は武道であるから、死ぬか生きるかの命をかけた殺し合いのための技術である。昔、柔術がブラジルへ渡った頃には、日本からは技術とともにその精神も伝えられたのだろう。「あきらめたら死だ、だから死ぬ気で闘え」との精神が技術とともに伝わったはずだ。日本から離れたブラジルの地で、日本の古い武道は伝統を守り続けた。一方で柔道は、オリンピックの競技にもなりスポーツ化へ向かっていった。そこに強さの違いが出たのだと思う。グレーシー柔術が日本へ最初に伝えれたころ、多くの試合は日本のプロレスラーとの異種格闘技戦だった。最初のころは、日本の武道のマスターであるブラジル人と、西洋のレスリングのマスターの日本人との試合は奇妙な文化の捻れを感じた。日本の伝統を守り育ててくれたグレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーとは、日本人が忘れかけていた日本人の精神文化を日本で再復活させてくれた恩人でもある。今から半世紀以上も前のことだが、柔道も世界的に今ほどは普及していない時代であったが、伝説上の柔道家木村政彦がいた。彼は、ブラジルでエリオ・グレーシーと戦っている。このエリオグレーシー対木村政彦の試合では、木村がエリオの関節をきめたが、エリオが参ったをしなかったのでエリオの腕が折れてしまった。参ったをするよりも骨折を選んでいる。ここにも、エリオ・グレーシーが柔術をどういう覚悟で学んでいたかを見る思いがする。殺し合いに参ったなどあるものかと思っていたに違いない。偉大なるブラジルの侍に哀悼の意を表したい。
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