日々感じたことを書いています。

福岡と神功皇后

神功皇后の存在に関しては、「江戸時代から実在の人物かどうか様々な論考があったが、明治から太平洋戦争敗戦までは学校教育の場では実在の人物として教えていた。現在では実在説と非実在説が並存している(Wiki)」ということで、伝説上の存在かもしれないとなっている。

ところが、福岡市周辺には神功皇后に関連深い土地があちらこちらにある。小学校の遠足で海岸に行った際に、柱のような化石が海岸にあったが、それは神功皇后の三韓征伐の際の船の帆柱が化石になったものだと聞いた。子供だったので、2千年程度で化石ができるはずもないなどということには思い至らなかったので、昔この海岸から神功皇后という人が朝鮮まで出かけて行ったのだと思ったものだった。

福岡市のどまんなかの天神に警固(けご)神社という神社があるが、その社伝は、「神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる」とある。福岡の中心からして神功皇后と深い関係がある。

福岡市の東区に香椎という場所がある。福岡で開催される福岡マラソンの折り返し点が香椎だ。そこにある香椎宮の祭神は

主神
  仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
  神功皇后(じんぐうこうごう)
配祀
  応神天皇(おうじんてんのう)
  住吉大神(すみよしおおかみ)

となっている。仲哀天皇は神功皇后の夫で、応神天皇が子供である。住吉大神は博多区にある住吉神社の神様である。由緒は、「香椎宮は仲哀天皇九年(200)、神功皇后躬ら祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀給うたのが起源であります」ということだ。

また、香椎からそう遠くない、福岡市の南東に接する糟屋郡にある宇美という場所があるが、この宇美は産みのことであり、神功皇后が朝鮮半島出兵(三韓征伐)の帰路に応神天皇を出産した地からこの名が付いたということになっている。宇美の隣の、志免は、その赤ちゃんのオシメをあてた場所から付いた名との話もある。

神功皇后を祀る宇美八幡宮には、「境内には、神功皇后が出産のときにすがりついたという「子安の木」、応神天皇の産湯に使ったと伝えられる「産湯の水」などがある。境内末社・湯方殿の前には「子安の石」と呼ばれる拳大の石が納められており、妊婦は安産を祈願してこの石を持ち帰り、出産後は別の新しい石を添えて返すという風習がある(Wiki)」

では、神功皇后が指揮したという三韓征伐(新羅出兵)が実際にあったのかということだが、出兵そのものは、朝鮮の史書『三国史記』新羅本紀や高句麗における広開土王碑文などにも記されいることから、間違いないことであろう。ただ、その指揮をとったのが神功皇后であったかどうかだけがはっきりした証拠がないようだ。

福岡市、およびその周辺にある神社が神功皇后と深い関係がある。帆柱の話は作り話にしても、神社の縁起を全て作り話に置き換えることは難しいのではないか。福岡から見ると、神功皇后は実在と思えてくる。
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