日々感じたことを書いています。

壹岐の旅

昨日、福岡から戻ってきました。

福岡の盆の季節は、夜になっても気温が落ちず、夜中でも30度以上というのが普通でした。ところが、今年は8月に入ったころから、一日の最高気温が30度以下という異常な低音が続いていました。なぜ、温度が上がらないかというと、毎日曇りだったからです。この時期日本列島をすっぽり覆っているはずの高気圧の勢いが弱く、関東の一部にかかっているだけだからです。ただ、30度でも湿度は100%なため、快適ではありませんでした。

帰省中のハイライトは壱岐にいったことでした。16日に壱岐の郷ノ浦港に渡り、そこでレンタルサイクルを借りて、宿のある印通寺まで行きました。途中、300年の伝統のある麦焼酎の酒蔵の見物もしました。遣新羅使の墓も見学しました。宿に着いてから、更に自転車で6世紀の古墳も見学しました。少し、亜熱帯かかった自然林の中にある古墳は、壱岐島では珍しいものでなく、長崎県全体の6割ほどがこの島にあるようです。翌日の17日には、またレンタサイクルを借りて、一日中島の東半分を見物して回りました。

壱岐島には、昔から歴史の島です。古事記によると5番目に作られた島です。魏志倭人伝によると対馬の次に現れる一大(支の間違い)国が現れる島です。元寇により住民が六十数名になるまで虐殺された島でもあります。秀吉の朝鮮出兵では唐津の名護屋城の次に、兵站基地の作られた場所でもあります。元寇の戦場跡という場所が、ありました。おそらく数千数万の敵に、数十で向かって行った「戦場」の跡なのでしょう。武士の勃興期に、その勢いだけで、壱岐島の地でも、自分たちの何十何百倍もの敵に戦いを臨み散って行ったのかと思います。モンゴルの攻勢に歯向かう力があった時代だからこそ、モンゴルの侵略を食い止めることが出来たのではないかと思います。神風、あるいは台風という幸運がもたらした勝利では決してないでしょう。

博多から壱岐島への船の旅で見える島景色も見ものです。百済が滅んだ後には、多くの百済の王族たちが日本に渡って来たのでしょう。追手を逃れるために、通常の対馬から壱岐島、博多というルートを避けたかもしれません。財宝は沖ノ島に隠し、博多とは少し離れた宗像あたりに上陸したのかもしれません。壱岐島から博多へ向かう船から見た景色は、彼らが見た景色と同じでしょう。捲土重来を期して、九州へ渡って行ったのでしょう。そのときの気持ちはどのようなものだったのでしょうか。

妄想が次から次へと湧き上がる楽しい旅行でした。
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