日々感じたことを書いています。

山城と「八」

この夏ソウルの南にある南漢山城(남한산성)へ行ってきた。今見ることのできる城の石塁は朝鮮時代のものだが、その城はもともと、新羅の山城があった場所のようだ。百済の山城があったとの説もある。オリジナルな山城の名前はニ聖山城(이성산성)という。遺跡の発掘調査からは、新羅説が有力とのことだ。このブログによると「城内のいくつかの建物跡の中で、8角、9角、12角形(!)の建物の礎石が見られる」ということだが、興味深い。「8」は道教と関係するのだろう。

小学生のころ福岡と佐賀の間にある基山という山に遠足に行ったことがあった。基山山頂付近は草原で、ダンボール紙の上に乗ってソリのように滑り降りることができた。何度も滑って、こんな面白い山があるだろうかと思った。実は、そこは基肄(きい)城の後であった。これは白村江の記録的大敗後に百済人が唐・新羅の侵攻に備えて作った城であった。百済人の作った城でぼくに馴染み深い城は他にもある。昔白木原と言っていた場所は、今は大野城市という。大野城市の大野城は、太宰府の北側にある城だが、これまた百済人の作った山城だ。

山城は、平城とは違う。5-10キロメートルほどの城壁が山頂を取り囲む形であるが、通常は兵や住民はここにはいない。敵が攻めてきたとき、ここに籠城して戦う。ヨーロッパや朝鮮に見られる町の城壁は、町の中の住民や王を守るものとも異なる。

子供のころ馴染み深かった基山や大野城だが、それが百済人が作った山城とは知らなかった。同じく水城も百済人が作っている。同じころ百済人が作った城に、熊本の鞠智城(くくちじょう)という山城がある。菊池市には行ったことがないが、鞠智城の建物が再現されているようだ。その中に八角形の塔がある。韓国の二聖山城の八角形の建物の礎石と比較したら面白いかもしれない。礎石間の距離から物差しの目盛りは、どこの基準を用いていたかの比較ができよう。ここにも「八」が出てきたが、道教というと天武天皇も道教を信仰していたようだ。

八角形の建物は信州上田にある安楽寺にもある。近所には、北向観音もあるが、北向きは北辰信仰であり、これまた道教の影響が深いと思われる。

八といえば大分の宇佐八幡宮の名前の中にも「八」があるが、これも道教と何らかの関連があるのかもしれない。

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